とりあえず流行ってる人(この場合は橋下さん)を連れてきて、とりあえずそれを批判している人たち(山口二郎とか香山リカとか内田なんとか)も、言ってることが正しいかは抜きにして並べといて「ほら、俺って立派な両論併記」と斜に構えている部分が、テレビや週刊誌には少なからずある。

極論すると、一方がダイヤモンドであったとしても、片方はそこらへんに転がっている石っころを拾ってきて並べただけかもしれない。言葉は悪いかもしれないが、あれだけ散々人を批判しておいて、(論者によっては)本まで出しておきながら、いざ面と向き合ったらマトモな対案一つ持ち合わせないような人たちは、はっきりいえば石っころだろう。そういう石っころを有り難がってひな壇に並べ、電波を垂れ流してきたメディアは、石っころが石っころだと見抜けないほどレベルが低かったというわけだ。

橋下氏は、恐らくそういった構図を理解した上で、確実に勝てるとふんだ相手を四角いジャングルの上で公開処刑しているのだろう。少なくとも現在、氏を批判している論者の中で石っころでない人(政策的に議論できる人)は見当たらないので、氏の無敵状態は当分の間続くはずだ。テレビ的にもそれはなかなか魅力的なコンテンツに違いない。なにせ、大学教授の肩書の上にふんぞりかえったヒールが、無様に叩きのめされる殺人ショーだから。

報道番組の「プロレス志向」 このまま続けていいのか (1/2) : J-CAST会社ウォッチ

まあね。ここに出てくる登場人物が自分の「ビジネスモデル」を勝手に回しているうちに、マスメディアにおいてある種の生態系ができているだけなのかもね。

(via kashino)

(clioneから)

仕事を大量に任されている先輩社員がインフルエンザでダウン。ボスは「この忙しい月末にダウンするなんて、自己管理いや危機管理が出来ていない!けしからん!」と怒っているが、社員一人が倒れたくらいで機能しなくなる組織を作ったお前の方が危機管理できていないだろ。

ハサミは使いようAdd Star

お客さんから長い長いメールがきました。
本文はたったの一行。
「下記、よろしくお願いします」

そのメールは、お客さんの社内で返送と転送を繰り返されたメールで、
一番下の「第一発信者」のメールから順に読み上げていけば、
私に伝えたい情報とその背後をめぐる社内でのやりとりが、
まざまざと目の前に浮かぶ素晴らしいものでした。


第一発信者(商品担当)→社内全員に送信:
『商品Bの材料の○○が△△に変更になります』

第二発信者(役員)→社内全員に返信:
『なぜ変更か、いつの出荷分からか、明記しなさい』

第三発信者(商品担当の上司)→社内全員に返信
『仕入先を変更したため。理由××。4月○日出荷分からです』

第四発信者(お客様窓口のトップ)→社内全員に返信
『窓口スタッフへの説明に来てください』

第五発信者(宣伝部)→社内全員に返信
ホームページの担当者Rさん、対応してください』

第六発信者(工場長)→社内全員に返信
『2月○日出荷分から変更になります』

第七発信者(商品担当)→社内全員に返信
『私は4月○日と聞いていますが』

第八発信者(工場長)→社内全員に返信
『11月△日の会議で報告してます。議事録見て』

第九発信者(商品担当)→社内全員に返信
『その会議に私は出席してなかったので知りませんでした』

第十発信者(商品担当の上司)→社内全員に返信
『私も知らなかった。そんな大事なことを議事録だけですませないように』

第十一発信者(商品担当)→私へ転送。
『下記、よろしくお願いします』



見事なメールでしょ??

メールの文章って、
要件だけ書くと無機質な感じがするので、
表現を選んで、ニュアンスや状況を伝えるのに苦心するんですが、
これは見事に伝わってきます。
社内全員のフルネームから肩書きからアドレスまで教えてくれるなんて、
どれだけ親切なんでしょう。

メールはとても便利な道具です。
便利な道具って、優秀な人が使うとそのパフォーマンスを向上してくれますが、
バカが使うとより一層バカを助長するんですね。


ちなみにこの会社さん、上場企業です。
このメールだけで行く末が見えたと思うのは偏見でしょうか。


今日もお仕事がんばります

「話を聞いたこの弁理士の次のような質問が、IC発明のきっかけだった。「このアイデアでほかに何か出来るのではないか」ホーニー氏の発明に何か引っかかるところがあったノイス氏は、この提案を正面から受け止めた。そのうち「酸化膜で覆うことで汚染を防げるのなら、シリコンウエハーの上のトランジスタに細工をして接続ワイアを付けることもできるのではないか」と思い付いたのだ。一つのウエハーに複数のトランジスタや抵抗器をのせるーーICの誕生の瞬間だった。」
私の履歴書(ゴードン・ムーア)より

躁うつ病や発達障害を患っている、それ自体に罪はもちろんありません。
でもそれを原因として出てくる面倒を避けようと思うのまで、無理解で薄情でその程度の人だと言われるのなら、
私が離れた後に陰でそう触れまわるのを止めようとは思いません。申し訳ないことですが、私もその程度の人です。

本当にあれこれいいように使われ振り回されました。即座に対応できないと友情を感じないだの、優しさがないだの、もう消えようだの。
気分にムラがあり、言う事に遠慮がなくて、グサっとくる事を躊躇なく言えるタイプだな、気が強いほうだな、傷つきやすいんだろうなと思いました。
学校に出てこなくなったその友人を心配して下宿を訪ねたら、クローゼットで体育座りしていた事がありました。
これは病気だと思い、素人の私が対応を誤ってはと家族を呼び、後はおまかせしてその場は終わりましたが、
落ち着いた頃に障害者手帳を印籠のように示され、こういう人で、あなたはそれを知ったんだから、協力せよと詰め寄られました。
・・・という事があったから、今後どんな事情があっても、障害を告白されたら、全力で逃げると決めているのです。ごめん。

ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう
我が家、というより私の母が語っている不景気の判定方法。
景気が悪くなると、ちょっと高めの和食屋さんで働く女性に美人が登場。
さらに不景気が深刻化すると、温泉地の旅館の仲居さんにも美人が混ざり始める。
ちなみに美人といっても、超ド級の美人のことを言うらしい。
我が家、というより私の母が語っている不景気の判定方法。
景気が悪くなると、ちょっと高めの和食屋さんで働く女性に美人が登場。
さらに不景気が深刻化すると、温泉地の旅館の仲居さんにも美人が混ざり始める。
ちなみに美人といっても、超ド級の美人のことを言うらしい。
事実は事実として認識する。事実と自分の意味づけを混同しない。
絶望的な状況は事実ではなく、自分が絶望的と思っているだけだ。
勝手な意味づけをして悩んでいても、目の前の現実は改善されない。